中島中BLOG

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"評価" と "価値" は別のもの

掲載日:2023.01.31
全校

 ひょんなことから "卒業証書" の大捜索が始まった。大学の卒業証書だ。

 1階と2階を何度も往復し、クローゼットを引っ搔き回し、諦めかけた頃にポロリと出てきた。

「おー!!」

「あったー!! 卒業以来、初めて見た!!」

と、わけのわからない歓声を夜の住宅街に響かせ、暫く眺めていると、捜索本能に火が付き、高校の証書や、はたまた中学の成績表まで引っ張り出してきて昔を想い...、電話のベルで我に返るまで、時間を忘れて時空を彷徨っておりました。

 

 3年生の3者懇談が今日で終わります。公立高校受験の最終確認を兼ねた懇談なので、「調査書」(いつも思うが、言葉の響きがよくない...)の開示もその場で行われます。

 そこに並ぶアルファベットと数字には恐ろしい魔力があり、親子で顔が上がったり、下がったり、声のトーンが上がったり、ため息が漏れたり...。

 

 "評価" は "努力" の対価なので、良い評価を得た生徒はそれを誇って当然だし、良い評価を得られなかった生徒は、自身の努力の足りなさを反省しなければならないのは言うまでもありません。また、良い評価を与えることができなかった我々教員も、自分たちの力量の無さを反省しなければなりません。

 

 ただ、

 

 "評価"は、あなたの "価値" ではない

 "評価" はいみじくも高校へのパスポートであるのかもしれないけれど、人生のパスポートでは決してない。対して、客観的に測ることができない "あなたの価値" は、高校へのパスポートにはならないけれど、常に自分とともにある人生のパスポートだ。

 

 客観的に測れないものは、つまりは主観的にしか測れない。

 主観は千差万別だから、あなたの価値も千差万別だ。言い換えれば、あなたには「様々な」「素敵な」「人とは違うとっても素晴らしい」価値がいっぱい詰まっているということだ。

 

 よく、「価値は自分自身が決める」と言われるが、時により、場面により、大きく自信をもてるときもあれば、落ち込んで「自分なんて、なんの価値もない...」と嘆いたりすることもある。

 

 そんな中、いつも変わらない "価値" が実はある。

 

 親が思う君の価値だ。

 帰宅したら尋ねてみてごらんなさい。異口同音にきっとこう言うだろう。

 

 「あなたの価値? それは、昔も今も、あなたがそこに居てくれること」